2017年07月12日

ドラマ「孤独のグルメ」は現代のチャンバラである

たまにはコンクール参加活動報告ではないオハナシも。

まるで“釣り”のようなタイトルですが、この先をお読みいただければご納得いただけるのではないかなぁと思うのです。
さぁて、お立ち会い。

ドラマ「孤独のグルメ」と言えば、原作・久住昌之さん、作画・谷口ジローさんのコンビで、一部でコアなファンを獲得していたマンガが原作です。
幸運にもわたしはドラマ化前にシナセンのゼミ仲間から紹介されて読んでいましたが、マンガとしてはそれほど大ヒット作という地位ではなかったように思います。
たしか原作者の久住先生も最初の単行本はまったく売れず、扶桑社文庫になってからじわじわと売れるようになってきたとおっしゃっていたかと思います。



最初にドラマ化されたのは2012年1月。
おっさんがただうまい飯を食うために悶絶したり苦悶したり失敗したり歓喜したりするだけのオハナシがドラマになるのかと、ファンにも楽しみ半分不安半分で迎えられたドラマ化だったように記憶しています。
ところがフタを開けてみれば主演・松重豊さんの存在感と食べっぷり、そして実在する飲食店の魅力とが相まって、気づけば先ごろ放送されたSeason6(2017年4月期)までと特別編やスペシャル3本を数える大ヒット作となっていたのでした。

  
  


ではなぜ本ドラマはこれほどまでに多くの人々に受け入れられてきたのか。
そこで考え至ったのが、本記事のタイトルにある「現代のチャンバラである」という説です。

じゃあ改めて「チャンバラ」と呼ばれる時代劇の特徴を考えてみましょう。
ここで「チャンバラ」として想定しているのは、「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」「暴れん坊将軍」「遠山の金さん」なんかの流れをくむ時代劇です。

まず、フォーマットがかっちり決まっている点です。
「チャンバラ」は、悪事が起きる→主人公とその一味が解決に当たる→悪人を特定する→大立ち回り→裁き――まぁだいたいこの流れです。
この中に悪事に巻き込まれてしまう善なる庶民の人情話とかが絡んでくることが多いですね。
そしてもうひとつの特徴、それは剣の達人が登場する点です。
フォーマットの部分で触れたクライマックスの“大立ち回り”。
ここで主人公(とその一味)は、悪人(とその子分ども)をバッタバッタと斬り倒します。
そこには一抹の迷いもありません。
圧倒的な剣の力で悪人どもを斬り倒すのです。

さて。
では一方、「孤独のグルメ」はどうか。
まずフォーマットがかっちり決まっているか。
こちらも、たまにちょっとした変化球はあるにせよ、ほぼ同一のフォーマットで組み立てられています。
街を訪れる→仕事をする→仕事先の人とのエピソード→腹が減る→店を探す→店に入る→店を観察する→メニューを決める→食べ進める→追加注文する→猛烈な勢いで食べ尽くす→店を出る
ね? ほぼこれですよね?
スペシャルなんかの場合や一部のSeasonに存在したスイーツパートを除けば、ほぼこのパターンです。
じゃあ、「孤独のグルメ」には、なんかの達人って登場したっけ?
するじゃありませんか、達人が。
ほかならぬ主人公・井之頭五郎は胃袋の達人じゃありませんか!
五郎さんは、うまい飯を食うことに迷いがありません。
そして、うまい飯を求め続けるに足る財力と胃袋とを有しています。
だって「孤独のグルメ」内で、「これは値段が高いからやめておこう」なんて理由でメニューを断念したことがありましたか?
マンガ原作ではどうだったか記憶があいまいですが、少なくともドラマでは五郎さんは絶対メニューを残しません。
食べたいと思ったメニューはすべて注文し、絶対残さず食べ尽くすのです。
「チャンバラ」における大立ち回りのように、テーブルに並んだ品々をバクバクと平らげ、「チャンバラ」における「一件落着」の如くこうつぶやくのです、「ごちそうさまでした」と。

この大きな2点の共通点によって、「孤独のグルメ」は現代の「チャンバラ」たり得ているのです。
その証拠に「チャンバラ」において長寿シリーズが多いように、「孤独のグルメ」もSeasonを重ねています。
確固たるフォーマットと強力な主人公の存在によって、いつまでもシリーズを続ける潜在能力が秘められているのです。

posted by 山久友 at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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